2022年の大河ドラマ【鎌倉殿の13人】で描かれた源平の戦い。
そのフィナーレが壇ノ浦の戦いです。
都落ちした平家を滅ぼすため、源義経が総大将として挑んだ戦です。
かの地、壇ノ浦は山口県下関市にあります。
壇ノ浦の戦い?
教科書で学んだ記憶はあるよ!
こんな方も、詳しい歴史は知らないかもしれません。
今回は義経のいた海が見たくなって、下関市まで日帰り旅に行ってきました。
壇ノ浦のある下関市。
今も昔も魅力がいっぱいの観光地として人気のある都市です。
歴史好きの方もそうでない方も、一緒に楽しめる場所がたくさんあります。
壇ノ浦、一度見てみたいナ~
今回はそんな方にぜひとも立ち寄ってほしい、歴史ある下関市テッパンの人気観光スポットをご紹介します。
記事の後半では、壇ノ浦の歴史をたどる日帰り旅で気付いたことをお伝えします。
最後まで読んでいただけると嬉しいです(*‘∀‘)!
外国旅もステキだけれど、やっぱり日本は面白い!
更にその土地の歴史を知ると、その場所がもっと好きになります♪
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壇ノ浦は何県?場所はどこ?【山口県下関市】
壇ノ浦は、関門海峡にかかる関門橋の足元にあります。
本州の最南端です。
平家は都から、この地まで逃げてきたのですね。
鉄道も車もない平安時代。
それはそれは大変な移動だったはずです。
何度も行ったことがある場所に、実は奥深い歴史のロマンがあった…
それを知って訪れると、新しい発見や感動がありました。
遠方の方はもちろん、お近くの方にも改めて行ってほしい!
下関市はそんな場所です。
壇ノ浦の戦いとは?
寿永4年(1185)壇ノ浦で行われた源平最後の合戦。
デジタル大辞泉「壇ノ浦の戦い」の解説より引用
平氏は源義経を総大将とする源氏の軍に敗れ、安徳天皇は二位尼(平時子)とともに入水、大将平宗盛も捕らえられ、平氏は滅亡。
壇ノ浦で勝利をおさめた源頼朝は、この年に鎌倉幕府を樹立します(諸説あり)。
1185年に幕府を樹立したと言われる理由は、この年から始まった守護・地頭の設置です。
でもこれは、頼朝が実の弟である源義経をとらえることが目的でした。
壇ノ浦の戦いで大活躍した義経を、兄が捕えることになるとは。
その理由は諸説ありますが、義経の絶大な人気が見過ごせなかったのかもしれません。
かなしすぎます。
さて、
壇ノ浦の戦いは言いかえると、
海に不慣れな源氏 VS 海戦が得意な平氏
この二大勢力の戦いでした。
そしてこの勝敗をわけたのは、海峡の「潮の流れ」を味方につけた義経。
その義経は、いったいどんな想いでこの下関の海を眺めたのでしょう…
この海にいた義経は、その後の自分の姿など知るはずもありません。
そんな義経がいた海の「いま」が見たくなりました。
壇ノ浦の戦い その場所の今
2022年5月3日。晴天に恵まれた朝です。
海峡の潮の流れは思っていたより穏やかでした。
私たちが壇ノ浦に到着したのは朝8時。
潮の流れは平氏側から源氏側に流れていました。
これまでとは違う気持ちで、この海峡を眺めます。
さかのぼって、1185年4月25日。
戦いが始まると、関門橋のある方角から源氏の船団が海峡に入ってきます。
平家は海峡の南西にある屋島の陣から、得意な海戦で源氏を迎え撃ちました。
でも平氏が優勢だったのはこの潮の流れが変わるまで。
長期戦に持ち込んで海峡の潮の流れが変わると、一気に源氏が平氏を追いつめ、源氏が勝利するのです。
【壇ノ浦 観光】歴史を守りつつ、成長を続ける都市
そんな歴史がある下関市ってどんなところ?
ちょっと行ってみたいかも…♪
下関市は歴史と共に発展してきた都市です。
源平合戦、巌流島、幕末の高杉晋作、金子みすゞなど、きっと誰もが一度は聞いたことのある言葉ですが、これらは全て下関市に関係しています。
歴史抜きで下関市を語ることはできません。
これらの歴史を大切に守りつつ、現代の成長も着実に続ける下関市は、まさに温故知新を体現している都市なのです。
それでは次に、歴史好きもそうでない人もおもいきり楽しめる、下関市の観光スポットやイベントをご紹介します。
海峡祭り【5月2日~5月4日】
下関市では、例年5月2日から5月4日までしものせき海峡まつりを開催しています。
2022年はコロナで3年ぶりに、このイベントが行われました。
ちょうど、源平の甲冑に身を包んだ武士に会えるという奇跡が起きました(*‘∀‘)!
歴史好きには、イヤでもテンションが上がります♪
唐戸市場【下関グルメ】
下関市といえば唐戸市場が超有名です。
壇ノ浦の海をみながら、安くて新鮮なお寿司を満喫できます(*‘∀‘)
朝8時で、市場はすでに大混雑!
どの店も自慢のお寿司を並べて新鮮なネタを競い合い、フグやカニのお味噌汁にも長い行列ができていました。
歴史が好きでない人も、美味しいものは一緒に楽しめます。
赤間神宮【下関市屈指のパワースポット】
壇ノ浦を望む竜宮造(りゅうぐうづくり)の楼門が印象的な赤間神宮。
下関屈指のパワースポットとしても有名です。
ここには、数え年8歳で海に沈んだ安徳天皇が祀られています。
安徳天皇のおばあちゃんでもある平時子(二位尼)が入水前、
どこに行くのかと聞く孫を抱きかかえて読んだ有名な句があります。
今ぞ知る みもすそ川の御ながれ 波の下にもみやこありとは
現代訳)いまこそわかります。伊勢の五十鈴川の流れをくむ安徳天皇よ。この波の下にも都があるのですよ。
孫の不安を少しでもやわらげようと、二位尼が祈る気持ちで詠んだのでしょう。
この句ををもとに竜宮城を模して再建されたのが今の姿です。
赤間神宮の敷地には、壇ノ浦で亡くなった平家一門の墓もあって、
長い年月を経た今でも、平安時代の歴史を大切にしていることがジンジンと伝わってきました。
源義経と平知盛像【八艘飛びと碇潜】
壇ノ浦古戦場(みもすそ川公園)にある、源義経と平知盛の像。
これはぜったいに見に行きましょう!
源義経の像は、安徳天皇を探して船から船へ飛び移る「八艘(はっそう)飛び」。
対する平知盛の像は、敗戦を覚悟したのち自分の身体が浮かび上がることのないように、碇をおもりにして海に飛び込む姿。
これはその時の「碇潜(いかりかつぎ)」を表現しています。
海峡をバックに出会うド迫力の像に、歴史好きのテンションはMA~~X!!
住所:山口県下関市みもすそ川町21−1番
バス:御裳川バス停で下車
駐車場:壇ノ浦PA(少し歩きます)
火の山公園【ロープウェイで海峡を一望】
火の山公園の山頂からは、壇ノ浦の海峡が一望できます。
ロープウェイで一気に山頂へGO!
歴史が好きでない人にもおすすめです。
景色がよくて気持ちいい~♪
帰りは遊歩道を歩いて降りることもできます。
歩くと大人で20分~30分くらいです。
住所:山口県下関市みもすそ川町7
運航:3月~11月
営業時間:10時~17時
駐車場:無料
ロープウェイ料金:大人片道310円(往復520円)・ 小人片道150円(往復260円)・市内在住65歳以上の方(要証明)片道150円(往復260円)
旅の感想【3つ】
無事に日帰り旅を終えました。
今回の旅の感想を3つお伝えします。
勝敗は「時の運」ではなかった!
海戦が得意な平家と、苦手な源氏。
この戦の勝敗は単なる時の運なのでしょうか。
この疑問は、司馬遼太郎さんの書いた義経を読むと答えが見えてきました。
源氏の勝利は義経の軍略と情報によるものなのです。
今回の日帰り旅で、本物の潮の流れを体感!
私の目で見た潮はこんな感じでした。
- 午前8時海峡の潮は平家側→源氏側へ
- 12時潮が渦を巻き始める
小さな渦がいくつも生まれます。
潮の流れが変わったことがわかる瞬間です! - 15時潮は源氏側→平家側へ 流れが逆転あかり
潮が逆転したら、追い風理論で一気に源氏が優勢に!
ここまで持ちこたえる義経の軍略が、源氏の勝利を決めました。
この海峡の潮を読み切った義経の軍略は本当にすごいです。
義経は一度も見たことのない海峡の特性を利用して、「ここ一番」の戦いに勝利しました。
インターネットやグーグルマップもない時代に…です。
追いつめられた平家の悲しさ
今ぞ知る みもすそ川の御ながれ 波の下にもみやこありとは
平氏側の人たちが入水したあたりに、ひっそりとひとつの句碑があります。
入水とは、自決のこと。
平氏側の多くは、敗戦を知ると自ら海に飛び込びました。
この句碑には、さきほど紹介した、平時子(二位尼)辞世の句が記されています。
この31文字には、孫をおもう時子のやさしさが滲んでいます。
流れの早い潮に飛び込もうとするのは、時子自身も怖かったはず。
最後まで誇りを失わず、孫と共に入水する覚悟は想像すらできません…
そんな想いを海峡に馳せました。
【下関市】次は泊まりで楽しもう
今回は数日前に思い立って、当日朝5時に夫を叩き起こし、車を走らせました。
(もちろん、運転は夫です!感謝!)
寄り道をしながら福岡市から車で2時間ほどで到着です。
日帰りでは物足りない。
もっと下関市を回りたい。
そう思わせる魅力が下関にはたくさんありました。
歴史好きなら功山寺や東行庵にも足を延ばしたい!
次は泊まりで行くことにします(*‘∀‘)!
まとめ【壇ノ浦はどこにあるの?】
壇ノ浦は山口県下関市にあります。
義経のいた海は、ぜひ一度見てほしい場所です。
そして壇ノ浦のある下関市には、歴史好きの方もそうでない方も楽しめる場所がたくさんありました。
次はぜひ、あなたの目で見てきてください!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
あかり
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