ある夜。不意にドジって骨折しました。
自宅階段で右足首をひねってしまっただけなのに、まさかの骨折&入院を経験。
そして、40日間の長い入院生活が終わりました。
これまで「当たり前」と思っていたことが、当たり前ではないとわかった、大切な経験でした。
▼足首の骨を折ってしまった記録はこちらです。
私が入院してみて、これからの毎日を機嫌よく暮らすために、気付いたことがありました。
3つご紹介します。
1、「普通がどれだけ幸せか」を知って、感謝して暮らす
2、「すべてのことは当たり前ではない」と気付いて暮らす
3、自分の意志でどうにかできることは、全力でやろうと決める(意志に関係なくうまくいかないことが、世の中にはあるから)
よろしければ最後までお読みください。
「普通がどれだけ幸せか」を知って感謝して暮らす
「普通ってすごい!普通って幸せ!!」って、改めて思います。
月並みな言葉ですみません。
階段からころげて、足首あたりの細い骨を折ってしまっただけで、
これほど人が不自由になるとは。
健康な時には思いもしませんでした。
片足でもこんなに大変なのに! 両足骨折、とかだったらどうやって生活するの??って。
きっと想像を絶するご苦労があるはずです。
現在地から目的地までの移動にも、普段は使わない道具を使う必要があるのです。
車いすでの移動を経験(乗り降りは意外と大変)
車いすの移動には、いくつかのハードルがあります。
まずは車いすに座るまで。
体重をかけられない方の足をかばいながら、テーブルなどの支えを頼りに車いすに移動。うまいことバランスをとりながら、くるりと回転して座ります。
車いすの場所を確認⇒集中⇒片足で移動⇒集中⇒くるん!
おしりから行くとバランスがとりにくいので、最後のくるん!が必要。
この時にバランスを崩したり、うっかり車いすや支えが動いたりすると、ケガに追い打ちをかけてしまいます。
車いすに座るまでは第一関門。要注意です。
車いすの操作は、車の運転と一緒。
移動は何とかできるとしても、狭い場所を通過する時に、また集中力が必要になるのです。
気を付けていないと、車輪を回す手が壁などに挟まって、新しいケガを作ります。
通り過ぎるときはそろ~りそろり。
車いすを降りる時も同じく、移動先のベッドの位置を確認。支えを頼りに移動してくるん!
車いすでの移動には段差のない病院でも気を使いました。外の世界を車いすで移動となると、ちょっとの段差にも困惑するはず。
松葉杖での移動(床が濡れてたらすごく危険)
普段、何でもないときには、床が濡れていても気付きもしません。
でも、松葉杖での移動ではすごく重要な問題です。
ちょっとした水滴が残っていたり、雑巾がけの直後だと本気で滑ってしまいます。
松葉づえで体重を支えると、手のひらには豆ができるし、肩も凝ります。
こうやって移動手段一つをとってみてもわかります。
段差があっても、二本の足でヒョイと超えて歩くなんて普通の事と思っていたけれど、
実は面倒が最大限にそぎ落とされた、幸せなことだったのでした。
「すべてのことは当たり前ではない」と気付いて暮らす
毎日家族と暮らしていると、その日々を当たり前のように感じてしまいます。
- 朝起きて、誰かのために食事を作って、仕事に行く。
- 帰ってきて犬の散歩に行って。夕食を作って食べて片付けて。
お風呂の時間になると、娘に「早く入って!」と私が言って、娘は「もう少しテレビ見たい!」とかささやかな小競り合い。
そんな日々を当たり前のように感じて、ことさら感謝もしていませんでした。
だけど、入院してわかりました。
当たり前のことなんて、一つもありません。
入院すると、「毎日お風呂に入れない」ことが普通。
自分でお風呂に入ることすら当たり前ではなく、
入院中は、自分でお風呂に入れないことの方が「当たり前」でした。
ギブスのままお風呂に入るのは危険なので、
看護師さんに素っ裸を晒しながら20分限定のシャワータイム。
あられもない姿の私に危険がないように、そばで見てくれている看護師さんに申し訳ない。
でもせっかく入浴の機会を得たからには、洗えるところはできるだけ丁寧に洗いたい。
そんな風に、人の手を借りて、見守られながらお風呂に入ります。
昨日まで当たり前だったのに、そうではなくなる日が突然やってきて気が付きました。
すべてのことは当たり前ではないのだ、と。
そう思ってみると、娘とのバトルすら大切に感じます。
自分の意志でどうにかできることは、全力でやろうと決める
自分の意志には関係なく、どうにもうまくいかなくなる時が、人生にはあります。
私の骨折は「寝ぼけて階段から落ちたこと」が原因で、自分の意志ではコントロールできません。
(寝ぼけて階段を降りなければよかった??その通りです!)
人生には色々なことがあって、
今回の私のように「意図せずに起きてしまうこと」とかも含めて、
思い通りにならないことは沢山あります。
だからこそ、
自分がやりたいことや、努力してどうにかなることは、できるうちに全力でやらなきゃなりません。
もちろん自分だけがやりたいからやる!という気持ちではうまく回らないから、
周りへの感謝を根っこに持つのも大切です。
私にとっての、「うまくいかないこと」の代表例
私の父は、42年間勤めあげた会社を退職したあと、
少ししてから認知症を患って、今は施設に入っています。
父の認知症発症から、自宅で老々介護をしていた頃の母の苦労は、大変なものでした。
母は現在、一人暮らし。
真面目な仕事人間で、釣りや登山が趣味の父と、
ずっと専業主婦で、三人の子どもと夫のために人生を捧げた、明るい母です。
そんな二人がやっと迎えた、「穏やかな老後」のはずだったのに。
「やっとこれから二人で老後、って時に。悔しい」と、母がポツリとつぶやきました。
そんなこともある という柔軟性
世の中、うまくいかないことがある。
母の言葉を聞いた時、理不尽さとか悔しさとか、いろんな気持ちがこみ上げてきました。
日々の生活では、うまくいかない出来事を怖がったり悲観せず、
「そんなこともある」
としなやかに受け入れて、前に進む柔軟性が必要なようです。
まとめ
1、「普通がどれだけ幸せか」を知って、感謝して暮らす
2、「すべてのことは当たり前ではない」と気付いて暮らす
3、自分の意志でどうにかできることは、全力でやろうと決める(意志に関係なくうまくいかないことが、世の中にはあるから)
以上、これからの毎日を機嫌よく暮らすために大切だと思うことを書いてみました。
骨折した右足は、全快するまでもうすこしかかりそうです。
焦らずボチボチやります。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
それでは、また。
あかり
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